

呼夢三線広め隊
沖縄県 隊長 上江田武信(うえたたけのぶ)
◯三線との出会い
沖縄生まれ、沖縄育ちの私ですから、三線の音色、沖縄民謡は、生まれながらにして、日常の生活の一部でした。あの頃は、ラジオ、テレビでも毎日のように娯楽が少ない時代でもありましたから、沖縄芝居などもよくオバーに連れらて見ていました。
そんな良い環境で生まれ育っているのに、当時は興味はありませんでした。その後、沖縄を離れて、横浜で30年も長い歳月根を張って暮らして、里帰りの際に、那覇空港で流れていた、てぃんさぐぬ花の歌に心洗われる思いがしました。
時、50歳。丁度何かを始めたいと思っていたグッド・タイミングの時でもありました。私の心にスイッチ音(ON)したのが、てぃんさぐぬ花でした。
それから、余命半年と宣告された母との想い出作りがはじまったのです。



◯世界へ発信しようと思った理由 発信力は行動力
私は、40歳から今の三線と同じようにパソコン、インターネット、IT発信に夢中になっていました。それが、いつの間にか仕事にもなっていました。
私が落ち込んだ時、苦しい時、悲しい時、辛い時、寂しい時に奏でた三線の音色は、いつも私に不安な雑念を遮断して、笑顔になるような夢を見させてくれました。
少々、IT発信には自信がある私だ。(本人の思い込み)俺ならできる。長い歳月、沖縄の人たちを心躍らせた、励ました沖縄の音色を世界へ発信しようと、三線を始めたばかりなのにそう思うようになりました。
その一念をYouTubeに投稿すること1,200本以上の動画。成功は人を雄弁にするというけど、私は、大ピンチの時にこそ、夢を、想いを語り雄弁になるべきだと、弱い自分の心に言い聞かせました。
呼夢三線広め隊、世界中に10,000人で大演奏をしたら、きっと、ギネスだと思います。
◯私の使命 残りの命の使い方
三線を手にしてから、私の根本的な考え方が大きく変わりました。始めたばかりの三線なのに、いつもワクワク・ドキドキする夢を抱くようになりました。
夢が膨らむことと反比例して、経済が苦しくなってきた。その時に、感じたことが、お金では買えない価値を産み出そうとそう思ったのです。
トコトン、貧乏になってみないと味わうことが出来ない感謝、優さ力を感じないと思ったから、貧乏も苦ではありませんでした。(本当は苦でした。笑)
随分と遠回りもしたかもしれないけど、この夢を見るために、実現するために、いろいろな必要な経験を積んできたのだと自分に言い聞かせました。
50歳からの私の命の使い方という名の使命。物の豊かさから心の豊かさを求める、新しい時代になっていることを感じたのである。
◯継続は力、継続は宝、継続の継続は歴史となる
言葉は心の真似をする。心も言葉の真似をする。だから、私は、どんなに苦しい時も、ネガティブな発信は、言葉は発しないでおこうと決めました。
私が口癖のように歌っている歌が、てぃんさぐぬ花の曲に乗せて、継続は力、継続は宝、継続の継続は歴史となる。
そうだ。俺は、俺達は、今までの常識では出来ない、新しい常識で、歴史を作るのだと、自分に暗示をかけるように歌い続けました。
