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呼夢三線広め隊 452番

兵庫県 名渡山 陽子

 

三線は出会いを素敵にする魔法の杖

 

遅れましたが、私が三線を始めたわけを書きます!こんな感じで大丈夫ですか?不採用でも大丈夫ですので(>人<;)

私は、沖縄県出身で、大学進学の為大阪に一人で引っ越ししました。在学中、沖縄料理店で三年間アルバイトしました。沖縄出身とはいえ、三線や沖縄の文化には全く興味がなく、それより、華やかな内地の生活にずっと憧れを持っていました(^_^)

三線は沖縄にいた頃、一度も触った事がありませんでした。工工四はもちろん読めませんが、沖縄料理でアルバイトをしてたのをきっかけに三線をちょっとだけ遊びで始めたました。沖縄にいた頃、ピアノを習っていたのもあり、遊びで簡単な曲ならすぐ弾けるようになりました。(人前で弾くレベルではないです…)

 

学生時代、実家に帰った時、お母さんがヒイヒイおじいちゃんが作った夫婦三線がある話をしてくれて、私はそのホコリだらけの三線ケースを引っ張りだしました。2本の三線が一つのケースにしまわれていましたが、どちらも、本革の皮が割れていました。手始めに一本を初心者だし、人工皮にかえて、その日からその三線を私が預かることになりました。家族は誰も三線を弾かないのでお母さんは私が使ってくれてる事を喜んでくれました。とはいえ、弾く事はめったになく、長い間、部屋のインテリと化してしまっていました。

 

それから数年後、2011年、オーストラリア パースに語学留学中、私の三線人生に大きな影響を与えてくれた人と出会いました。

日本人夫婦の家に二週間だけ、ホームステイしていました。小学生の子供が、剣道を習っていたので、たまたま見学をしに行きました。オーストラリア人の子供や、現地に住む日本人の子供達が体育館で剣道をオーストラリア人の先生に習っていました。体育館の外は、駐車場と広い芝生になっていて、私はかなり距離があったが見てしまったのです。誰かが木の下で寝転んで三線を弾いていました。

 

こんなところで三線?その人を観察していたら、剣道を習いに来てた子のお父さんでした。日本人でオーストラリアには仕事で長く住んでいる方でした。勇気を出し、声をかけました。すると、彼は剣道教室の近くで、三線クラブがあると教えてくれました。でも、場所が一人では行きにくい場所…だったので、その時は行けるかわかりませんでした。

 

ホームステイが二週間終わり、シェアハウスにオーストラリア人と住むことになりましたが、ホームステイのお母さんが良かったら、剣道教室のついでに、三線クラブに連れて行ってあげると連絡をくれました。

それが、Perth sanshin club との出会いです。そこで、Lyndie リンディに出会いました。金髪のオーストラリア人が三線クラブをまとめているなんて、とても驚きました。しかも、三線をたくさん持っていました!木製のやつが5、6本とちゃんとした三線を数本。しかも、英語が超早口!(笑)

 

その当時、私にはリンディの英語がまだわかりずらかったが、すぐに仲良くなりました。三線を私に一本貸してくれました。私は、その当時もまだ、工工四は読めませんでした。三線のチューナーの使い方もわかりませんでしたが、全て、リンディが教えてくれました。本当にすごいオーストラリア人だなと思いました。三線クラブは二週間に一回。リンディはとても、優しく私を迎えに来てくれました。また、リンディの提案で、毎週木曜日は、リンディの家で三線の練習日に決めました。

 

その出会いから、私は三線を触るようになったのです。リンディと出会い、私はたくさんの知らなかった民謡をリンディに教えてもらいました。リンディの三線への情熱は本当にすごいんです。YouTubeを見てたくさん練習していました。毎週木曜日、リンディと過ごす事で、私の三線と英語力も伸びて行きました。

2011年は悲しい年で、東日本大震災を私は、オーストラリアのニュースでみました。信じられない光景に悲しくて涙が出ました。

その後、パースでもあちらこちらで、チャリティがありました。リンディがそのチャリティに出るよう誘われたので、一緒に出ようと言われたのです。私の三線のレベルは、人前で弾くレベルでは全くありませんでした。工工四もまだ読むのが大変なのに…しかも、人前で弾いたことがないから…しかし、リンディはすごく、楽しんでいました。下手とか関係なく、一緒にやろうと目が輝いていました。そんな姿を見て、私もやってみようと思いました。

 

ライブは、もう一人、リンディの友達としました。初めて人前で音楽をする、しかも、大舞台で。でも、リンディは教えてくれました。三線を楽しむことを。 ライブは成功し、三線という楽器を珍しく思うオーストラリア人が喜んでくれたようです。始まる前はすごく不安だったのが、終わった後の達成感は気持ちが良いものでした。その後も、リンディと一緒に、リンディの母校の中学での、音楽weekの時、1000人の生徒の前で二人で三線を弾くという素晴らしい機会をいただきました。リンディとオーストラリアでたくさん三線を弾きました。

 

沖縄出身の私が、オーストラリア人に三線の楽しみ方を教わる…滑稽かもしれませんが、リンディにとても感謝しています。

リンディのすすめで、三線広め隊に入りました。私は、何がなんだかわからずに着いて行ったら隊長のところにたどり着いたのです。広め隊に入った事で更に三線を楽しむことができ、リンディの紹介で、広め隊で素敵なパートナーにも出会う事ができました(^_^)リンディが私の人生をいい方向へと導いてくれたのです。

 

三線を始めた事で、人生変わったと思います(^.^)これからも、楽しみながら、三線を続けて行きたいです。そして、三線をやるきっかけを与えてくれた、リンディに感謝してもしきれないほど感謝しています。オーストラリアと日本、離れていますが、これからもずっと仲良しの友達でいたいです(^_^)一緒にまた、三線を弾けるのを楽しみにしながら練習に励みたいです(^O^)三線を好きというだけで、言葉を超えてこんなに仲良くなれるのは本当に素晴らしい。まさしく、三線は魔法の杖(隊長の言葉)ですね(^_^)

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