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呼夢三線広め隊 380番
宮城県 吉田 俊文


島唄、三線が広まるお手伝いを使命にしたい!

 

ハイサイ!呼夢三線広め隊380番 吉田やいび〜ん! アダスは、2013年4月に入隊し、同時に三線を始めました。

かねてより、何かしらの弾き語りに憧れ、ギターかピアノの教室でも…と思っていました。 三線を始めたいな〜と思っていたところ、ひょんなとこから呼夢隊長の動画に巡り会い、独学でも、沢山の方々が三線を弾いているのを見て、入隊し自分も始めることにしました。 一年経って、三線の腕は…まあ…まあ… レパートリーが三曲くらいのものですが、広め隊をはじめ、共有・共感できる仲間が沢山出来ました!

 

何と言っても、我々の強みは、Facebook、youtubeを通じて、世界中、いつでも思いを共有出来ること。 おかげで、仙台に単身赴任となり、仲良くしてもらっていた、関東の隊員とも滅多に会えなくなりましたが、Facebookで近況を共有し、情報をやりとり出来るので、助かっています。

仙台に来て、直に共感できる環境が乏しかったのですが、これも三線という魔法の杖のお導きか、宮城県南三陸町のサンシンズJrと巡り合う事ができました。 サンシンズJrの活動については、昨年暮れに、やはり広め隊員のFacebook投稿で知り、唄の動画でエールを送り、いつか彼らの唄を聞きたいと思っていたので、繋がりができた時は、感動しましたよ。

 

サンシンズJrは、皮肉にも震災の災害派遣で、沖縄の自衛隊が南三陸町志津川の避難所に派遣され、持ち込んでいた三線で、傷ついた人々に唄ったところ、その音の虜になった子供達が非常に興味をもったので、次々と派遣される隊が、その都度三線を寄付し、今の礎を造ってくれたそうです。

自衛隊の派遣は、震災後二ヶ月程で引き上げとなり、その後は、高校生をリーダーとして、彼ら独自で練習して来たそうです。 南三陸には三線を教えてくれる大人は、一人もいないから、彼らだけで続けて来たそうです。 たまに南三陸を訪れるプロからのアドバイスは有っても、この三年半、週二回の練習を続けて来たのは、避難所という極限の状況で出会った自衛隊の隊員へと、自分たちを奮い立たせた三線、島唄への感謝の気持ちです。

 

今の彼らに、アダスごときがアドバイスできる事などありませんが、三線のメンテナンスや、消耗品の補給などで活動のお手伝いさせて貰ってます。 カラクイや弦の補充には、広め隊の隊員からも支援を頂きました。 こんな時こそ、広め隊の組織力を発揮出来る時だと思うので、今後は非常時の基金なども検討してはどうかと思います。

サンシンズJrへのアプローチと同時に、大人も三線を始めたいという人が出始め、一緒に練習することになりました。 67才の方ですが、とっても前向きで、被災地で問題になっている、「生活不活発病」に、自分は絶対にならない!と言い、すぐに三線も購入して練習を始めました。 更には、介護ヘルパーの資格試験に向けて勉強をはじめたので、秋以降は、南三陸の介護施設で、ライブ活動も始まりそうです!

アダスがここで出来ることは、ごく僅かですが、サンシンズJrそしてサンシンズシニア(笑)の比較的近くにいることで、情報を発信し、三線・島唄が東北の地に広まる一端を担えればと思います。

 

南三陸町歌津という町では、震災で流され、西表島に流れ着いた郵便ポストに、強い思い入れを覚えたBEGINが、ほぼ実行委員となっているお祭りが去年から行われ、サンシンズJrもBEGINと共演し、我らが隊員でもある、かじくあつしさんも参加するなど、東北の沿岸の小さな街が、HOTな街になりました。

この地で、更に三線、島唄が広まるお手伝いをして行きたいと思います!

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