呼夢三線広め隊 124番
神奈川県 こぐれたつろう
三線との出会い
こぐれ たつろう(横浜在住・三線歴6年)
<三線との出逢い>
沖縄との初めての出会いは、1975年、中学3年生の時に沖縄海洋博に行った時です。船での往復だったので、とにかく「遠いところ」という印象だけが強く残りました。
実は、このとき耳にしたはずの沖縄音楽についての印象は、ほとんど残っていません。
1980年、横浜の大学に通っていた頃、同級生に沖縄の出身者がいました。ある日、彼の下宿に遊びにいくと、レコードが3枚だけ置いてありました。彼は、その中から「ハイサイおじさん(喜納昌吉 & チャンプルーズ )」というシングル盤をチャチなレコードプレイヤーでかけてくれました。
音楽からなんらかの衝撃を受けるという体験は、音楽好きの人ならずとも1度や2度はあることでしょう。私がこの曲から受けたインパクトは、強烈でした。なにを唄っているのかとんと分らないボーカル。三線のリフ(カチャーシー)はグイグイと曲を引っぱり、とにかくパワーを感じましたね。
時を経て2008年。
たまたま通りかかった横浜のヤマハを覗くと「三線教室」が開講されるとの掲示を見つけ、その場で入会申込みをしました。
「三線を奏でてみたい…」
あの時以来、ずっと心の奥底にしまっていたのだと思います。
講師は、あの鶴見川沿いの西日のきびしい下宿部屋で聴いた「ハイサイおじさん」の三線奏者その人でした。
<人を魅きよせる三線の魅力>
三線を習い始めてから知った数々の沖縄地方の民謡は、人の営みや自然との融和などを素朴に唄い継ぐ歌が多いことを知り、いまだに飽きることはありません。
三線という楽器そのものの特長や魅力はたくさんありますが、この楽器は単なる一地方の民謡楽器に留まらない可能性を持っていると思っています。
そのことは、「呼夢三線広め隊」の会員の増え方や盛り上がりを見れば分ります。
ところが、楽器のたぐいはすべからく、ある程度演奏できるようになるまでにコツコツと粘り強く取組む必要があります。
1人でやっているとたいてい挫折しますが、仲間と取組むとラクにしかも早く上手になれます。
そこで…。
<練習発表会を各地で!>
ネット上、あるいはオフ会などの集まりもいいのですが、練習発表をする場が各地で盛んに開催されるようになるといいと思います。練習中の発表会ですから、間違えようが途中で止まろうがいいじゃないですか。「間違えたら恥ずかしい」と考えるのは、上達を妨げます。
お互いガンガン間違えて、キャー間違えた!と笑い合い、ここはこう弾くといいよ、などとアドバイスしあえばいいのです。
このような活動を展開すると、「呼夢三線広め隊」は単なるネットで集まった愛好家たちの集まりから「カルチャー」になります。そうなるのに、時間はそうかからないはずです。
そして、ゆくゆくは全国大会〜たとえば「三線アニュアルミーティング」〜のようなイベントが実施できたら面白いだろうな、と思います。
年ごとに開催地を変えて全国をキャラバンしてもいいでしょう。
イベントではライブはもちろん、指導や相互アドバイス、情報交換、合奏、なん
でもアリです。
出店や物産、いま沖縄が抱える問題をディスカッションする公開討論会もいいで
しょう。
家族や仲間、みんなが楽しめる、人と人の出逢いを喜べる、そんなお祭りを想像するとワクワクしてきますね。
<聖地への道>
音楽は聴いているだけではもったいない。
聴く→歌う→楽器を演奏する→人前で披露する→拍手をもらう!
これこそが音楽を楽しみ尽くす王道です。
それを世界一人の気持ちを穏やかに、幸福な気持ちに幸福な気持ちにさせてくれる楽器=三線で味わえるのは嬉しいことです。
こんなことを考えていると、なんだか聖地沖縄での10,000人「てぃんさぐぬ花」大合唱も絵空事ではなく具体的に見えてくるような氣がします。